オンライン授業の可能性〜オフライン授業とオンライン授業〜

学校に登校しなくても授業が受けられる「オンライン授業」(Web授業・リモート授業など)。ICT教育が注目されて久しいですが、現在日本ではほとんど取り入れられていないのが現状です。インターネット回線も高速回線が普及し、携帯電話回線も5Gになろうとしている2020年。コロナウイルスの影響で全国的に一斉休校が要請され学校授業に限らず、様々なところでWeb・インターネットを活用した新しい授業の形が模索されています。

技術の進歩を支えるのは人の心

目次

オンライン授業とは

オンライン授業とは、インターネットを介して行われる授業のことですが、「録画」と「LIVE配信」の大きく2つの形に分けられます。特に最近では高速インターネット回線の普及によって、LIVE配信が注目されるようになりました。

録画によるオンライン授業

予め授業している様子をビデオカメラで撮影し、オンデマンド(必要に応じて)で受講できる形式のビデオ映像授業です。録画映像なので、無駄な時間をカットしたり、適宜テロップを入れるなどの編集ができるので、効率の良い動画教材をコンテンツとして用意できます。NHK for Schoolなどもその1つと言えるでしょう。

簡単にメリットとデメリットを挙げるならば、上述したように丁寧に編集することが可能であるということと、受講者が任意のタイミングで視聴することができるということがメリットです。

しかし、デメリットとして、授業者と受講者が一方通行で随時質問ができないことや、掘り下げた質問をすることができないなど、授業者側からのアクションは全くできないことが挙げられます。

LIVE配信によるオンライン授業

生配信などとも言われたりする方式で、最近では動画配信サイトの多くがリアルタイムに映像配信できるサービスを提供するようになりました。また、従来からあったテレビ電話ソフトを通じたやりとりで実現することも可能でしょう。

リアルタイム配信の技術自体は20年以上前から存在し、遠隔地から映像を通じて授業する形態は存在しましたが、最近のLIVE配信の特徴はチャットツールなどを通じて受講者からもリアルタイムで質問ができるという点です。

テレビ電話方式で双方向映像のサービスであれば、チャットを介さなくても直接受講者側からも音声や映像を通じて質問することもできます。これを活用すれば学校に登校しなくても教育が受けられるという未来が想像されるのも自然ですよね。

オンライン授業は普及する?しない?

さて、こうしてオンライン授業のメリットに着目すると学校の存在意義って今後薄れていく気がします。まさに今(2020年3月現在)、世界中でコロナウイルスによる大パニック状態にあり、このオンライン授業が大きく注目されているわけですが、今後、オンライン授業というキーワードを中心に教育はどのように変わっていくのでしょうか。

オンライン授業のためのインフラ整備は必須

今後の大きな流れとして、オンライン授業ができるためのインフラ(物理設備)の普及は必須事項であると思います。これはオンライン授業がどのような形で普及・活用されるにしても・・・です。もちろん、今回のように感染症の流行による世界的な休校騒ぎになったときに、なってしまってから整備するなんてことは難しいので備えあれば憂い無しという意味もあるのですが、そもそも、教育の形としての選択肢は多いに超したことはないのです。

また、最近ではめっきり聞かなくなったように思う言葉ですが、「ユビキタス」という言葉があります。これは「インターネットなどの情報通信技術を利用していつでもどこでも簡単に、あらゆる情報を手に入れられる様子」のことを表す言葉です。

実際、私たちの日常生活はすでにユビキタス社会になっており、例えば、ちょっと食事にいくことでさえ、スマホでささっと「ググって」、近くのおいしいお店を検索し食事にありつくことができます。

このように「スマホ」や「インターネット」という存在を特別意識することなくごく自然にそれらのツールを活用し、手に入れたい情報を手に入れられる社会にすでになっており、私たちはそれを活用し生活する時代にすでになっているのです。

ところが、学校という場所はまだまだそれらの介入を許していない現状です。パソコンが一般家庭に普及して25年ほど。スマホが普及して10年が経ちますが、何故、日本の学校はこれほどまでに情報化が進まないのでしょうか。そこに今後のオンライン授業の形を探るヒントがありそうです。

学校のICT化の歴史

少し歴史を紐解いてみます。25年ほど前。Windows95が発売され、ダイアルアップではありますが、各家庭に「インターネット」が普及し始めました。実はこのとき、日本は技術大国として、ICT活用の流れに大きく舵を切ったのです。

全国の小中学校に「パソコンルーム」が設置され、各学校40台ほどのパソコンが導入されました。また、もちろんパソコンを購入する家庭も爆発的に増え、2000年を過ぎた頃にはパソコンがない家のほうが珍しくなり始めるほどの勢いでした。

そして、社会では、2000年あたりを境にISDN、ADSL、光回線とインターネット専用回線も年々進化し、2005年にはYouTubeが動画配信サイトとしてサービスを開始、個人が手軽に動画を配信する仕組みができてから15年が既に経過しています。

しかし、早々にICT化に予算を割いた教育現場だったのですが、社会の流れとは裏腹に導入したパソコンのほとんどはブラウン管から液晶モニタ、ノートパソコンと進化していっても、活用の方法は一向に変わらず、高齢者向けパソコン教室もびっくりの操作方法の学習に留まるのみというのが多くの学級の実状でしょう。

普及しない原因は教員の理解不足?

では、何故、この25年間。これほどまでにパソコンを活用した教育が変化・進化しなかったのでしょうか。よく耳にするのは「教員がプログラミングわかってないし」「教員が満足にパソコン使えないのに教えられるわけがない」といった言葉です。(プログラミング教育についても同じことが言えるのですが、ここでは割愛。別記事で)

なるほど、こうした技術が普及しないのは教員の理解不足が原因ということでしょうか。

私は違うと思います。確かに、学校の先生の多くはいわゆる「機械音痴」かもしれません。一般企業に勤める人ほど使えない人も多いかもしれません。しかし、それは結果論なんです。

逆に考えてみてください。企業に勤める人は皆、機械が得意なのでしょうか。得意だから学校の先生ではなく一般企業だったのでしょうか?そんなはずはありません。

必要は発明の母」です。一般企業では様々な機械を使う環境、使わざるを得ない環境があるから覚えたに過ぎないのです。また、非効率な機械は無理に使うだけ生産性が落ち、不利益を生むということを企業は知っています。いわゆる「ユーザビリティ」を大切にしますので、「使いにくい」ものは排除し、「使いやすく」もしていきます。

しかし、学校現場は違います。教員が「使いやすいかどうか」は学校に導入する機械にはほとんど反映されないのです。これは学校という場所が「公共施設」であり、「行政」によって運営されている以上、現段階では仕方のないことなのかもしれませんが、学校にインフラを導入するにあたって、必ず行政は「予算どり」を行わなくてはなりません。

その際、注目されるのは「必要な要件を満たす機械か」「何ができるのか」「いくらで導入できるのか」です。「どのくらい使いやすくて、わかりやすいか」という項目は予算計上に反映されないので、「使えるもの」が導入されるかどうかが保障されないんです。

オンライン授業のこれからは?

さて、少し話が脱線してきました。ここでは、行政がダメだ!というようなことを言いたいわけではありません。行政は行政で頑張っておられます。あくまで、現状の仕組みがこれからの時代に対応していなかった。ということに過ぎません。また、「使いやすさ」を指標化することも正直難しいのも事実です。行政は税金で成り立っていますので、説明しにくいお金は使いにくいのです。

少し話を戻して、「教員の理解不足」が原因でないなら、どうすればICTが現場で十分に活用され、オンライン授業が実現するのでしょうか。大きな課題であるインフラの整備は今後、改善されたとしましょう。いえ、改善される余地はいくらでもあるのです。

これまで、なかなか使いやすいものが導入されなかった学校現場でも、やはり緩やかではありますが、社会の技術進化の影響は受けているのです。動画配信において必要な知識も軽減されてきていますし、予算に関係なく各メーカーも意図的に使いにくいものを作っているつもりはありませんので、安価でも使いやすいものも登場してきています

では、インフラも整備され、教員の理解度に関わらず誰でも使いやすくなったとしたら、オンライン授業は普及するのでしょうか

これまでのオンライン授業の形

実は、これまでにもオンライン授業という形は存在し、義務教育課程での導入事例は少ないですが、社会教育の現場ではすでにたくさん導入されていますし、大きく成功されているケースも少なくありません

例えば、某予備校では有名講師のビデオ授業を好きな時に観られるという形態でフランチャイズ経営をし、全国規模に発展しています。また、多くの会社で研修やセミナー、会議などをオンライン授業のような形で開催している事例も多くあります。では、この仕組みを導入すれば小中学校でも、オンライン授業によって教育が可能かもしれませんね!

オンライン授業の限界

しかし、実際はこうした多くの成功事例をいくら小中学校教育に持ち込んでも上手くはいかないでしょう。また、多くの人が上手くいかないことをなんとなく認識しているでのはないでしょうか。それはメリットに対して、想定されるデメリットのほうが多く感じられ、またそれらに対する対処法が今ひとつ腑に落ちないからではないでしょうか。

オンライン授業になると・・・

  1. より一層主体性が求められる
  2. コミュニケーションが反って煩雑
  3. 温度が感じられない

例えば、こうした項目が懸念点として挙げられるでしょう。他にもたくさんあるかもしれませんが。まずはここに挙げたデメリットを少し掘り下げてみます。

オンライン授業の主体性

より一層、子供の主体性が求められる

オンライン授業はいくら双方向になっても所詮、アプリケーション(コンピュータソフト)を介して接続しているだけです。接続を切ろうと思えば実際の教室からエスケープするより簡単です。また、画面に映ってなければ何をしていても分からないし、画面に映っていたところで、教師側は何人の子供たちの顔を画面に映し出すのでしょう。リアルの教室に30人が座っていても全員の詳細な行動を把握することは容易ではないのです。ましては画面上に映し出された30人の四角い顔の映像から何がわかるのでしょうか

子供側からの発言等を聞く、全体で共有するというツールとしては十分に機能するでしょうが、教育者として、子供の様子に個別に働きかけることはおそらく難しくなるでしょう。

つまり、積極的に授業参加しようとする子供はより強調されるのですが、消極的な子供はより一層消極的なコミュニケーションになってしまうのです。当然、そういった子供へのフォローも非常に難しくなります

義務教育課程、特に小学校期においては学習内容もさることながら、何より人間性のフォローが非常に重要なのです。課題を解かせているときに机間巡回をしていて、個別の様子に応じてひそひそ話で声をかけたり、黙って指で問題文を指し示してやったり、その他の様子(机の引き出し、服装など)からその子の状況を把握し何かしらのフォローをする。といったことが実は人間形成において非常に重要なのです。日本の教育課程においては「生きる力」として、教科の学習内容だけでなく、そういった視点においても教育の重要性を認識されています。

ここで、「ずさんな先生も多いじゃないか」「ひどい事件を起こす教師も」といったことを言いたくなる方もいますが、ここでは教師の風上にもおけないような存在は論外です。熱意ある教師による本来の教育の姿について言及しています。

つまり、オンライン授業を行う上で、オンライン授業に参加できない子の存在を認め、どのようにフォローするのかを検討しなくてはならないのです。オフラインの構造をオンライン化するだけでは反って問題が複雑化してしまいます。

コミュニケーションが反って煩雑

ツールの特徴を理解することが重要

オンラインのコミュニケーションツールは連絡事項を共有するには非常に有用なツールです。それこそ、離れていても知りたい情報がある場合や、少人数でのコミュニケーションであれば、実際に会うのと遜色ないレベルで情報の共有が可能でしょう。また、チャットなどの文字での共有も用意で、履歴を確認することもできます。

しかし、授業となるとそうとは限りません。双方向の音声・映像ツールだとしても、どのあたりから聞こえた声かこのリアクションは総意なのか一部の意見なのか、そうした全体の理解度や受け止め方を知る方法が難しいのです。

また、教師と生徒のやりとりも個別の質問と全体への質問の2種類が行われます。それらをどのようにオンラインで表現していくか、方法がないわけではないのですが、チャットにしろ、音声ミュートを活用するにしろ、何かしらの操作が必要で反って煩わしい操作が増えます

温度が感じられない

大多数を相手に授業・講義・講演を行う場合、会場の空気感・温度感というのは話者として非常に重要な要素

実際の会場であれば、「私語」はご遠慮いただいたとしても、やはり、要所要所のリアクションにおいて、人は周囲の反応を見ながら自分の反応を決めることが多いでしょう。つまり、横の人が笑えば私も笑うのです。

ときにはこそこそっと何かを確認し合いながらリアクションしたり、ときには話者(教師)にツッコミを入れることもあるでしょう。そうした話者と聞き手集団のコミュニケーションの重要な要素がオンラインではどのように表現できるでしょうか。不可能ではないかもしれませんが、現状では非常に難しく、新しいコミュニケーションの形を模索していく必要があるでしょう。

あえてデメリット掘り下げましたのでなんだか「パソコンで書いた手紙はぬくもりが伝わらない」みたいな意見になってしまいましたが、要はそういうことなんだと思います。結局、人はそれを求めるし、未知のものへの拒否反応が生じるのです。

これからのオンライン授業の形

では、これからのオンライン授業はどのように検討していけば良いのでしょうか。

0と1だけで結論づけない

大切なことは、授業はオフラインかオンラインか。と、どちらかに結論づけようとしないことです。オフラインの良さオンラインの良さ、それぞれを理解して、適切に運用すれば良いのです。言い換えるならば選択肢を多く作るということです。

これまでの学校教育これからの学校教育という視点に立っても同じようなことが言えるのではないでしょうか。

特に不登校について考えるとき、特別支援教育について考えるときにこの考え方は非常に重要になってきます。

そういうものだから」「こうしなくてはいけない」と思い込むことこそが全ての可能性を潰してしまうのではないでしょうか。

学校教育の基本軸は「オフライン教育」

高等教育課程に進むほど、教科の専門性が高まり、より学習内容に焦点が当たっていきますが、義務教育課程においては人間教育の占める割合が高いと言えるでしょう。特に小学校教育は教科担任性ではなく、学級担任性を用いているところにその特徴が現れています。個人を総合的にみて、個と個との関わりに着目し教師として関わっていくところに日本の小学校教育の良さがあります。

念のため添えておきますが、この「良さ」は万能ではありません。集団の中での学びがその個の発達段階において合わないことは往々にしてありえます。そのとき、どのような選択肢を用意でき、どのような関わりを柔軟に適用できるかは常に念頭においておきましょう。次に示す「オンライン教育」がまさにその選択肢の1つなり得ると思います。

つまり、学校教育の基本はやはりオフライン教育に軸を置いておくということは非常に重要な方針ではないかと考えます。乱暴な言い方をすれば、教科内容だけに特化するのであれば、私学へ行くなり、通信教育で学ぶなりすれば良いのです。もっと過激な言い方をすれば、識字率の向上と教育機会の確保であれば、全課程に教材の無償配付と地域毎の公文式や学研のような学習教室の無償開放をすれば良いのです。

しかし、識字率や基本的な計算能力が十分に確保されたとしても感情論的に「違う」のではないでしょうか。細かく何が「違う」のかについて論じるまでもなく何かが違うことは多くの方と共通認識できそうな気がします。とはいえ、こうした方法も選択肢としてはやはり「有り」なのだとも思ったりもするのですが、話の脱線が著しいので一旦戻しましょう。

要するに学校という場に集って、仲間と共に学ぶという学習形態は一定の教育効果があると私は考えます。

くどいようですが、個別ケースでこうした集団での学びにそぐわない子の存在は肯定した上でです。

義務教育については「子供に教育を受けさせる義務」を基本に様々な解釈がありますが、根本は「国民の最低限度の識字能力(読み書き算盤)の確保」からスタートしているものですので、より高効率で専門的な教育を受けさせたいのならば個別に受ければ良いことですし、教育を受けさせているのであれば学校になど行かなくても違法性はありません。子供の教育権を侵害していなければ良いのです。

新しい窓口としての「オンライン教育」

しかし、オフラインを基軸にしても子供には様々な事情で学校に来られない場合があります。今回のコロナウイルスのような事例にしてもそうですが、怪我や病気による入院も考えられますし、不登校などもその1つでしょう。そうしたときに、「じゃあ勝手に私教育をどうぞ」では公教育の意味がありません。国民に等しく教育の機会を提供してこその公教育なのです。(選択肢がありながら選ばないのは子供側の自由です)

例えば、教師としてはなかなか心中おだやかではないかもしれませんが、休んだ子のために授業を録画してインターネットを通じて観られるようにしてあげることはオンライン教育として1つの選択肢でしょう。

録画では手間がかかるので、通常の授業をそのまま、欠席者に向けてLIVE配信することも良いかもしれません。基本的に他の子供たちは教室にいますので、授業の雰囲気はほぼ変わらないまま、オフラインの授業を基本として欠席者だけが静かに傍聴している構図になります。

配信サービスによってはLIVE配信をアーカイブ(保存)することができるので、教師はLIVE配信として、子供は録画映像として受講するという構造にすることも可能です。

質問などがあれば登校してから聞けばよいかもしれませんし、板書なども映像を観ればわかるので、教師も板書を別に編集して記録したり、子供も友達に見せてもらうなどの手間をしなくても良くなりますね。

このように授業への参加方法の選択肢が増えるということはメリットが大きいのではないでしょうか。

でも、じゃあみんなオンラインで・・・ってなっちゃわない?

さあ、ここからが今回の本題です。

ここまでの議論はおそらくみんな考えることでしょう。たぶん誰しも考えたことがあり、特別な意見でもないと思います。ここまでをまとめると、

オンライン授業って便利!だけど、懸念点あるよね。

そもそもみんな積極的にオンライン授業に参加してくれるの?やっぱりオフラインの方が。オンラインダメじゃん。

いえいえ、選択肢としてオンラインは有効!オフラインをベースにオンラインの選択肢も!

なるほど!それなら授業に参加しにくい子もオンラインで参加すればいいんだね!

でも、そうなると結局みんながオンラインに・・・ってならない?

さて、ここでみなさんに問いたいのが全員オンラインはダメなんですか?ということです。

確かに、先ほどメリット・デメリットについて言及し、オンラインのデメリットを深掘りしてみました。では、オンラインのデメリットは解消不能なのでしょうか。

すでに様々な議論がされておりますので結論だけ述べるとオンラインには現状の技術力ではどうしてもカバーできない限界は確かにあります。例えば、学力認定についてはオンラインで十分な学力の認定(いわゆる試験)ができるでしょうか。カンニングなどの不正防止や義務教育課程で重視される「筆記以外の能力」の評価はどうすれば良いのでしょうか。

きちんと洗い出していくとオンライン授業には様々な課題があります。

しかし、それはオフライン授業にも同じことが言えるのです。

オフライン授業の限界はすでにこれまでに述べてきたとおりですし、オンライン授業を検討するという段階で、すでにオフラインの限界も認識しているはずです。

問題は、こうした新しい事柄の検討を行う際に、従来法(ここではオフライン授業)のデメリットを蔑ろにしがちであるということです。

デメリットではあるけども、現状、そのデメリットを抱えつつもこなしているし。

という発想が新しい発想を拒み、除外してしまうのです。

というわけで、ここでは、オンライン授業のデメリットはオフラインで解消すればいいじゃないか。
と積極的に取り組んでいく姿勢で、従来法のメリットを逆輸入するような気持ちで前に進めば良いのではないか、ということを提案したいと思います。

オフラインとオンラインのハイブリッド授業を考案しよう

大切なことは「ソフトウェア」

オンライン授業を行うにあたって、まずは学校現場にオンライン授業のためのインフラ(物理設備)の導入は急務です。実現するための物理的な要件が満たされなくてはオンライン授業はそもそも成立しません。

そして、さらに大切なことは新しい形を模索するにあたって、これまでされてきたことの本質は何なのかということを考えることです。

今回のテーマは「授業」でした。この「授業」をオフラインからオンラインにすることはできないか。と考えたときに、「オフラインならできて、オンラインならできない」となる発想は何なのか。

その多くは、「オフライン授業をオンラインでしようとする」ことに原因があるのではないでしょうか。オフライン授業なら、耳元でささやくことができます。頭をなでることができます。課題に取り組んでいる様子を目視で確認しやすい状況があります。そしてこれらはオンラインではなかなか実現し得ません。

では、これらが「授業」という概念に必須の事項なのでしょうか。もちろん、それらの行動の意図、効果はあるでしょうが、それらが年間に行われる授業の100%を占めるわけでもないはずです。

逆に、オンライン授業では「自宅からでも受講できる」「記録を残しやすい」など、オフラインではできないメリットがたくさんあります。しかし、これもまた、授業に必須の事項と言えるわけでもありません。

つまり、オフラインもオンラインも上手く取り合わせて、よりよい「授業」を作ることはできないか。という発想が必要なのではないでしょうか。

オンライン授業を学校教育に取り入れていくにあたって、最も必要なものはインフラやICTのスキルなどではなく、新しい技術を適切に取り入れて教育を進化させるという概念・ソフトウェアに他ならないのです。

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